東日本大震災と当事者意識

今日からちょうど2年前の2011年3月11日に、東日本大震災が日本を襲い、全世界に大きな衝撃を与えた。

個々人でこの震災に対する思いいれは異なるだろうが、僕自身はとても特別な思い入れがある。

地震で大打撃を受け、未だに原発問題を抱えている福島が僕の実家だからだ。幸い両親は無事で、家に亀裂が入った程度だったが、父方の親の家は、放射能問題で居住不可になってしまった。

震災当時、僕は海外にいたので、直接被害を受けたわけではないけれど、この震災は僕の人生における一大事件であったことは間違いない。家族を失っていたかもしれないのだ。

そしてあれから2年経った今、僕は何を思うかと言うと、正直な所すっかりこの震災の存在を忘れてしまっていた。福島出身という事でそれなりに当事者意識を持っていたつもりだったが、今日で震災から2年だということを、恥ずかしながら今朝のニュースで知った。

人間とは忘れる生き物だ。これだけの規模の災害でも、2年も絶てば忘れてしまう。僕を含めた世の中のほとんどの人が、今では何事もなかったかのように生活をしている。原発問題であれほど節電節電といっていたのにも関わらず、僕らは今何も考えずに電気を浪費している。

ところが実際に被害にあった両親はちょっと違う。ペットボトルに水を備蓄し、常に災害に備えた準備をしている。彼らには間違いなく当事者意識が芽生えている。逆に災害の当事者でもない僕みたいな人が、被災者の方や大切な人を失った方の立場に立とうとする事自体、大変失礼で無責任なことかもしれないのだが。

ただ僕たちが絶対に忘れてはいけないのは、神様のイタズラによって、誰でも突然当事者になり得るという事だ。次は関東に巨大地震が来ると言われている。僕らはそれに備えて、何が出来るのだろうか?

今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒瀆だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

—ビートたけし−

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