物事を「できる」「できない」の定義

photo credit: St Kilda Crits 7 Oct 12 via photopin (license)

「バスケットボールができる」「カラオケが上手い」「英語が話せる」など、物事には必ず「できる」「できない」の話があります。

この「できる」「できない」の定義には人それぞれ違いがあると思いますが、この尺度をきちんと持つことは重要ではないか、と私は日々思っています。

例えば英語。私は大学、大学院を英語で卒業しており、外資系や英語を使った仕事の経験があり、TOEICやTOEFL受けてもほぼ満点です。これは世間的、客観的に見れば「できる」の部類に入ると思います。

しかし、主観的、自分の視点で見ると、全くできるとは思っていないし、まだまだ改善点があると思っています。この場合、「客観的にはできる」「主観的にはできない」と定義してることになります。

一方で、大してできもしないけれど、数ヶ月アメリカに留学した程度でできた気になっちゃっている人がいます。そういう人の英語を聞くと大概ダメです。つまり「客観的にはできない」「主観的にはできる」という状況です。

このように、「客観vs主観」「できるvsできない」で4つのタイプに分けられます。

(1)「客観的にはできる」「主観的にもできる」タイプは、当たり前ですね。自他ともにできると思っているんだからいいんじゃないですか。ただ、現状に満足しちゃってるのでそれ以上は上達しないかもしれません。

(2)「客観的にはできない」「主観的にはできない」タイプは、他人ができないと思っていることを、自分もできないと自覚しているということで、いいことです。救いようがありますね。

(3)「客観的にはできない」「主観的にはできる」タイプは、周りの人はみんなできないと思っているのに、自分だけはできると思っちゃっています。勘違い野郎で救いようがないですね。

(4)「客観的にはできる」「主観的にはできない」タイプ、これが一番望ましい状況です。世間的には満足レベルなんだけれども、自分が満足していない状況。

私は物事をする時は、必ず「できない」部類に自分をポジショニングしています。そうすることによって、(1)(3)のパターンを自ずと省くことができます。そうすれば本当は(2)なのに(3)になる場合を避けれるし、(4)になることには何も問題はないからです。

ここで更なる論点が浮上します。(4)の場合には、必ずベンチマークのようなものが存在していることです。周りができると思ってるのに自分ができないということは、必ず自分の中に理想の状態が存在します。例えば私の英語だと、ベンチマークはネイティブのアメリカ人、みたいな感じです。

これをどこに置くかが重要です。例えばオバマのように英語で弁達者になると設定すると途方も無い道のりで、そうすると永遠に上達をやめませんね。これはイイことである一方、物事には限界点みたいなのがあって、いくら頑張ってもそれ以上は上達しない状態が訪れたりします。なので目標が高過ぎると効率が悪い場合もあり、バランスも重要だったりしますね。

以上、客観的、主観的な視点で物事を「できる」「できない」と定義できることはとても重要だ、という話でした。普段自分が「できる」「できない」と思い込んでいる物事について、改めて考えてみるといいかもですね。

スポンサーリンク