「ノマド」に関する誤解

「ノマド」ってよく批判の対象になりますよね。何故か佐々木俊尚さんとか名指しでdisられたりしています。これらの批判は「ノマド」の本質を誤解しているような気がするので、それに関する自分なりの見解を述べてみたいと思います。

「ノマド」は働き方ではなく哲学

えっ、「ノマド」ってそういうことなの……。

スタバで MacBook Air や iPhone を駆使して仕事をしたければ勝手にすればいいし、それでしっかりと飯を食えてるならそれは本当に素晴らしいことなので、これからもキャラメル・マキアートをすすりながらお仕事に精を出されたらいいと思うが、なぜ、巷の「ノマドワーカー」どもは、自分が「ノマドワーカー」であることをあんなにもアピールしたがるのだろうか。なぜ Twitter や Facebook で現在進行中の「ノマドワーキング」を報告したがるのだろうか。なぜ、ブログなどで「ノマドワーク」に便利なアプリや道具やテクニックを開陳して、世間のカタギを「ノマド」界に引きずり込もうとするのだろうか。

このような記事を読むと、何だか皆「ノマド」=ワークスタイルの話だと思っているようです。とりあえずフリーランスで、ガジェット駆使してて、スタバで作業してれば「ノマド」みたいになってますが、僕的には「ノマドワークスタイル」ってのは「ノマド」という概念のほんの一部分にしか過ぎず、それが「ノマド」の本質ではありません。

むしろ、「ノマド」というのは、働き方というよりも、生きる上での哲学や精神論だと僕は思っています。僕が考える「ノマド」の定義というのは、物質的にも精神的にもあらゆる事から解放されてもっとシンプルに生きようということです。これを考える上でのキーワードは「束縛」なのだと僕は思います。例えば僕は、長年、物欲であったり人からの見た目に「束縛」されて生きてきました。それから解放されるために「スーツケース1個、バックパック1個」で暮らす事により「所有」という概念を捨て去り、物質的なものから解放され、結果的に精神の自由も同時に得ました。会社に「束縛」されていると思う人にとっては、それから解放される事も「ノマド」になる過程であるし、会社に属しているから「ノマド」になれないという事もないと思います。スティーブジョブズもマークザッカーバーグも「ノマドワーカー」ではないけれど、彼らの哲学やライフスタイルなどはかなりシンプルなもので、限りなく「ノマド」に近いものがあります。

「ノマド」の本質は、単なるワークスタイルではなく、哲学や生き様にあるのです。

「ノマド」にならざるを得ない時代の到来

ノマドとかライフスタイルをテンプレで語ること自体の陳腐化と正社員とノマドの中間解

そもそも個人的な実感として、一つの組織に所属して、社畜と言われようがきちんとした成果を出す形で働き、組織と一緒に自分も成長した上で、その後独立なりなんなりするのが最終的に自由を手に入れる最も現実的な方法であることは間違いない。
(中略)
ノマドというライフスタイルが存在するのではなく、自分にとって最適な形を模索したらそれがたまたまノマドだったというのがライフスタイルの正しい形のはずだ。

この記事もあくまで「ワークスタイル」の観点からしか「ノマド」を見ていないのですが、上述のように「ノマド」とはシンプルなライフスタイルを追求し、あらゆる「束縛」から解放される哲学だと考えると、「ノマド」は単にあらゆる試行錯誤の結果得るライフスタイルではなく、これからの時代必須の生き方という事になります。なぜなら、リーマンショックや東北大震災のような「ブラックスワン」が毎年のように起こるからです。「ノマド」的生き方は、人生のリスクヘッジにもなります。例えば、僕の実践している「スーツケース暮らし」なら、原発事故でいきなり逃げろと言われてもすぐに全財産を持って逃げる事が出来るでしょう。こういういきなり何が起こるか分からない時代には、出来るだけ心も体も身軽になっておくべきだと思うのです。

Q3 なぜ、定住しないのですか?

これには、様々な理由があります。まずは、不安定な時代のあらゆる危機やピンチに備えるためです。それは経済的・政治的危機、天災、それに個人的な問題すべてに言えます。
定住しないことが現代的ピンチを切り抜ける良い手だての一つであるのは、間違いありません。
また、フランスの才人ジャック・アタリは、今後地球人は動けない定住者と非定住者に大きく分かれていくだろうと言っています。彼は、二十一世紀の非定住民族のことを「ハイパーノマド」と呼んでいます。

ー私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明ー

「ノマド」は誰にでもなれる

ノマド(遊牧民)の起源 なぜ強い者が遊牧民になるのか?

このように考えてくればノマドのライフスタイルは誰にでも出来る事ではなく、自分の専門領域に特化し、大企業のコラボレーション先の担当者と協業できる、高度なコミュニケーション・スキル、ないしはピープル・スキルを持ち、しかも日照り続きで牧草も飲み水も不足するような状況に遭遇しても簡単にへこたれたり取り乱したりしない、強靭な精神力を持つ人間でなければ勤まらないということがわかるのです。

これは半分当たっていて半分間違っています。所謂「ノマドワーカー」、つまり社畜にならずにどんな所にいても自分で稼ぎ暮らしていくことは、ごく少数の限られた人にしか出来ないでしょう。そういう意味で上の記事は正しいですが、上述のように「ノマド」というのは哲学であり思想であります。それは単純に「ノマドワーカー」を目指す事ではなく、モノや人間関係など自分を束縛しているあらゆるものから解放されるために、シンプルな生き方を選ぶという事です。例えば僕はモノを極限まで減らしていますが、これだけでも人生は大分変わりました。理想的には社畜から解放されるのがいいと思う人が多いですが、それは「ノマド」になるための必須条件ではありません。むしろ「ノマド」的考え方を持って生きることの方がより重要で、これは誰にでも出来ることです。

佐々木俊尚さんが提唱する仕事するのにオフィスはいらないというのはあくまで「ノマド」の一部分に過ぎず、「社畜」vs「ノマドワーカー」の観点のみで「ノマド」を語ってもミスリーディングです。佐々木さんは、断食を行ったりして精神や健康の充足も保とうとしています。これも「ノマド」の哲学からきてるのではないでしょうか。

私の名前は高城 剛。住所不定、職業不明。
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