自由への道

好きなことして、言いたいこと言って、自由に生きる

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こんにちは!まきろん(@makfive)です!

ブログ「自由生活」へようこそ!

このブログは「自由生活」というタイトルからも想像がつくように、自由な生き方について書いたブログです。

自由っていい言葉ですよね。自由な生き方には誰もが憧れるはずですし、不自由になりたい人はいないはずです。でも、それは一部の特別な人に与えられた特権のような気もしますね。

僕はこのブログでそれを反証したい、言い換えると、多くの平凡な人にでも、自由生活は実現可能だということを証明したいです。物事へのアプローチの仕方や見方をちょっと変えるだけで、世界は自由にも不自由にもなり得ると示したいです。このブログでは僕みたいな何の変哲も無いアラサー男子が、自由な生活を手に入れる過程で得たノウハウや、行なった実践について語ります。

「自由生活」を始めたきっかけ

なぜ僕が自由な生き方を目指しているか、その理由はシンプルです。

それは過去30年の人生を振り返り、自己分析を行なった結果、自由な生き方こそが、僕が人生で一番欲しいものだと理解したからです。自由な生き方は目的じゃなくて手段じゃないの?と思う方もいるかもしれませんが、僕から言わせれば目標設定の対象として十分に機能するのです。かなり意図的に行動しないと、自由な生き方は手に入らないからです。

人によって幸せの尺度、夢、目標などは様々です。漠然とお金を稼ぎたい、有名になりたい、スティーブ・ジョブスのように革命的なプロダクトを作って世界を変えたい、など、70億人に聞けば70億通りの答えが返ってくるでしょう。

それが何であるかに良し悪しはありませんし、他者に自分のそれを強要することもできません。つまりそれは何でもいいのです。人生も地球も宇宙も本質的には何の意味もないからです。(宇宙はビッグバンによって始まったと言われていますが、そもそもそれが始まる前の「無」の状態がずっとキープされていたとしても「差し支えなかった」からです。)地球上に存在し、理性や意識を持つ個々人は何かしらの「生きがい」を自分で設定しないと生きていく意義を保てない(または宗教や哲学等に頼る)わけですね。だからそれに正しいも間違いもなく、何だっていいってことになります。

他人にベクトルが向いている夢(例えば貧困をなくすなど)がある人は「人間的」「道徳的」に素晴らしいですが、自己中心的に自分が何が欲しい、でも十分なのです。肝心なのは、自分にとってのそれが何であるかを心の底から理解し、行動に移すことです。人生は所詮は死ぬまでの暇つぶしです。しかし、激痛に耐えて今この瞬間に自害できる、という人を除けば、この暇つぶしはあと何十年も続くものでもあります。だったらその暇つぶしはできるだけ自分がしたいことや欲しいことだけで埋め尽くしたいですよね?

ところが多くの人はそれを深く考えないまま、自分を洗脳にかけていたり、周りに流されているパターンが多いのです。「いい大学に入っていい企業に入ったら幸せっぽい人生が待ってるだろうから、その道を選ぶ」人が多いのが、そのいい例です。

そして「本当に自分の人生で欲しいもの」を考えずに「あれ?これでいいんだっけ?」と漠然と思いながらいつの間にか人生終わってしまうのです。やりたくないことや苦痛だらけの人生だとしたら、それって暇つぶしにすらなってないですよね?

僕も人生で色んな経験や失敗をしながら、「自分が人生で本当に欲しいものはなんなのか」を自問自答してきました。その結果、自分が最も欲しいものは「自由生活」だということが分かったのです。

もちろん内在的に「世界をこうしたい」みたいなモチベーションがあるビジョナリーは素晴らしいです。しかし残念ながら僕にはそれがなく、自己中的にに自分はこうなりたい、ということしか思い浮かびません。ただ、僕みたいな平凡な男が自由生活を送ることに成功し、このブログを見た人が同じくトライし自由になれた、的なストーリーが生まれたら、それは結果としては他者の役に立った、世界に影響を与えたということになります。

なので、自分が心底欲している「自由生活」を目指しながら、そのプロセスを発信することで他者にも影響を与える、そのためにこのブログをやっています。

実は、どんなに考えても人生の生きがいや目標を見つけられない人に、この「自由生活」という目標設定はオススメです。

なぜなら、この自由生活を目指すこと自体が、暇つぶしを満喫すること、と同義だからです。これは僕だけが欲していることでしょうか?おそらく、生きている人みんなに当てはまることで、みんなが目指したいことでもあるのです。その点については後述します。(好きなことを考えたり、そのために行動したりするのがもはやストレス。他人に言われたことだけをやって人生を終えたい、という人もたまにいるのですが、そういう人には当ブログのお話は当てはまりませんw)

自由な生き方とは

自由生活、というけれど、自由に生きるとは一体どういうことなのか。僕なりに「自由」をいくつか定義してみますので、1つずつ見てみましょう。

非現実的な定義

まず、自由な暮らし、という言葉を聞くと、多くの人はこう想像するでしょう。

「一生困らないお金と時間を持ち、毎日リゾート地でクルージングでもしている、まるでリタイアしたような生活。」

つまりお金も時間も有り余っている状態ですね。これを(1)完全自由人と呼びましょう。リゾートでクルージングしたいかは別として、誰もが憧れる理想の状態ですね。お金も時間も有り余ってるので、毎日好きなことができますし、残りの人生において何も恐れることもストレスもありません。自由の定義として異論の余地はないでしょう。お金だけでなく時間が十分ある、ことがカギですので、あがっちゃった資本家などが例として挙げられます。

逆にお金があっても時間が無い例もあります。外資系投資銀行やコンサルに勤める人は、サラリーマンの中では高給取りで、若いうちから良いところに住めるし買いたいものも買えます。一方で労働時間も長めで、仕事上のストレス負荷も高めです。彼らは他のサラリーマンに比べて「リタイア」は早い=十分なお金と時間を手に入れるまでの時間が短いです。その頃には身も心もボロボロの可能性もありますが、今を消耗することで、将来の自由を獲得するパターンです。これを(2)自由予備軍と呼びます。エリートサラリーマンや、あがりそうな投資家や起業家、などが例として挙げられます。

(1)完全自由人:お金も時間も有り余っている人
(2)自由予備軍:遠く無い将来、十分なお金も時間も手に入れそうな人

(1)と(2)の定義に基づくと、自由に生きるためにはお金がとても重要な役割を果たします。しかし、有り余るほどのお金があれば働かなくていい=時間もできる=金を稼ぎまくれば自由になれる論、をこのブログで押す気はありません。自由をお金の側面だけで見ちゃうと、資本主義は富が偏る性質上、みんなが自由にはなれませんので。完全に切り離すことは難しいかもだけれど、自由、の定義をお金からある程度切り離す必要があります。

現実的な定義

ウィキペディアによると、

自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。

とありますが、これを僕なりの定義に落とし込むとこのようになります。

(3)自由生活:自分で選択した毎日を歩める状態

言い換えれば、自分が好きな毎日を歩めること=毎日好きなことをすること・言うこと、になります。1日の出来事のうち、自分で決めて好きでやっていること、が多ければ多いほど自由な状態、ということになります。逆に「あーこれ嫌だな・めんどうだな」というのが多いと不自由です。

自由生活=言いたいことを言い、好きなことをする、という定義に従えば、「サラリーマンでも自由になれる」ということになります。例えば最強サラリーマンとして有名な田端信太郎さんや箕輪厚介さんは、サラリーマンという立場、という意味では資本家や起業家などに比べて「不自由」ですが、実際はやりたい放題やっている自由人です。また、(レアかもしれませんが)、安月給、長時間労働でも、心底やりたいことをやれていて時間やお金に文句が無いサラリーマンも、自由生活を送っていると言えるのです。

この定義では、自分が心底やりたいことを理解していてそれを日々できているか、が重要で、余分なお金や時間があるか、は二の次です。そもそも(最低限の衣食住を除けば)お金や時間は好きなことをやるために稼いで使うものなので、それらを十分持つことは「手段」であって「目的」ではないはずです。そもそも、人生100年時代において、早めに「十分な」お金を稼いでリタイアする、ということがほとんどの人にとって不可能なことになるでしょう。つまり、(1)や(2)を目指すこと自体が、ナンセンスになるかもしれません。

改めて、自由を目指す=24時間をいかに好きなことだけで埋めれるかを追求すること、と言えます。敢えてお金と時間の文脈に当てはめるなら、それは「いかに好きなことでお金や時間を稼ぎ、好きなことに時間やお金を使うか」と同義です。必ずしもお金や時間の「量」に余裕があるか、ではないのです。

(1)完全自由人:お金も時間も有り余っている人(量の問題)
(2)自由予備軍:遠く無い将来、十分なお金も時間も手に入れそうな人(量の問題)
(3)自由生活:好きなことで時間やお金を稼ぎ・消費する人(質の問題)

(3)は(1)や(2)よりマシそうですね。

目標としての自由生活

前項で、何も生きがいを見つけられない人にはとりあえず自由生活を目指すことをオススメしました。

上記の僕の定義にのっとれば、自由生活は結局は暇つぶしの満喫と同義なんですね。でもこれを放棄している人が多い。あらゆるしがらみ、見栄など邪魔なものを全て取っ払って、暇つぶしを満喫することを目標とするのは、悪いことではないですね。

そしてもうお気づきかもしれませんが、自由生活=好きなことで生活を埋める、なので、結局のところ「自由生活」には、生きがいを探す、というプロセスそのものが内包されているのです。そのプロセスで人生をかける一大テーマを見つけるのも良し、次々と「好きなこと」が目移りしていくのも良し、といったところです。「具体的に人生をこれに捧げたい」というのが今この時点でない人にとって、とりあえず自由生活を目標にするのは、理にかなっているわけですね。

自由生活への道

Why、whatときたら次はhowです。どのようにして自由生活を実現するのか。

あなたは何がしたいのか(またはしたくないのか)

繰り返すと、自由生活とは、毎日いかに好きなことでお金や時間を稼ぎ、好きなことに時間やお金を使うか、と同義です。

なので当たり前ながらファーストステップは「自分が好きなこと・欲しいもの」を知ることです。これはあなたの生きがいになるかもしれないし、来年には別のことの方が好きになるかもしれません。しかし大切なのは、見栄やしがらみなどの外的要因から離れて、自分が「今この瞬間」に心底欲しいもの・やりたいこと、であることです。それを考えずに漠然とお金や時間を稼いでも、暇つぶしは謳歌できないのです。

自分が好きなことは自分の身体が一番知っています。一歩引いた目で自分をみて、ふと行なっている行為が自分が今この瞬間にしたいことに他なりません。気づいたら筋トレばかりしている、気づいたら寝てばっかりいる、気づいたらメイクのYouTube動画ばかり見ている、気づいたら、あなたは何をしているでしょうか?

一方で、自分が好きなことが「分からない」という人もたくさんいます。僕は人生やりたいことだらけですが、そんな当たり前が他人には当てはまらない場合が多いのです。その場合には、嫌いなこと・やりたくないこと、を避けることから始めるアプローチが有用です。好きなことは分からなくても、嫌なこと・やりたくないことなら誰でも山ほど浮かんでくることでしょう。

(3)自由生活:好きなことで時間やお金を稼ぎ・消費する人
(3’)自由生活:嫌いなことややりたくないことを避け、心地よいことで時間やお金を稼ぐ人

好き(または心地よいこと)を仕事にする

多くの人にとって、今の日々はこのような状態だと思います。

土日や終業後に好きなことをしたり、連休に好きなところに旅行するために、大してやりたくもない仕事を毎日我慢しながらやっている。

これは無理もありません。ベーシックインカム(すべての個人に一律で生活費を現金給付)でも実現しない限り、最低限の生計を立てるために仕事を行うことは不可避だからです。しかしこれは全く自由とは言えませんよね。残りの10%のために、人生の時間の90%を大してやりたくもない仕事に費やしている状態です。人生は死ぬまでの暇つぶしと言ったけれど、暇つぶしにしては辛すぎます。暇つぶしごときになぜ我慢しなければならないのでしょうか?それは言い換えれば「不自由な人生」を歩んでいる、ということです。

自由生活は、24時間をできるだけ好きなことで埋めることです。ならば、この90%の時間を占める仕事の時間を、できるだけ好きなことに置き換えることは必須です。それにより、プライベート(好きなこと)とワーク(仕方なくやっていること)の境界をそもそも無くしてしまおうという試みであります。

僕の例だと、僕は年中プロテインのことを考え、筋トレを毎日するほどフィットネス関連のことが好きなのですが、これ関連を仕事にしてしまいました。そうすると誰に頼まれたわけでもなくプロテインや筋トレ事情に詳しかったりするので、仕事としてもうまくいくのです。

また、好きなこと・やりたいことが分からない人が存在する、と前項で言いましたが、その場合は、できるだけ心地よいこと、を仕事にすると、今より自由を感じるようになるでしょう。例えば僕は絶対に8時間立ちっぱなしで接客するようなことは耐えられない、一方でずっと座ってパソコンいじっているのは苦ではない(=心地が良い)とわかっているので、それを中心とした仕事を基本的に選びます。何が好きか分からなくても、何が居心地いいか、悪いかはわかるはずです。

自由生活は、好きなことで人生を満たすこと、と述べましたが、本質的にはストレスマネジメントです。英語の言い回しで、"Get Out of Your Comfort Zone"(自分にとって居心地の良い領域から飛び出し、新しいことに挑んで成長しよう)というのがあるのですが、これは常に成長していたいみたいな意識高い人向けの話で、敢えて居心地の良いことだけをする、という選択肢もあるのです。もちろん好きなことだけをして生きていけるのが理想状態ですが、居心地の良いこと、で満たされれば十分自由は感じられるのです。

「好き」で生きるための障害を取り除く

自由生活=好きなことで時間やお金を稼ぎ・消費する、と非常にシンプルな話ですが、口で言うほどカンタンな話ではなく、現実には様々な問題に直面します。

例えば、好きなことで稼ぐのが難しいこと。仮に好きなことが山ほどあったとしても、それを換金化するのは難しいです。それは能力の問題かもしれないし、マーケットの問題かもしれません。それで億万長者になるとかではなく、それで1円を稼ぐのも難しいという話です。当記事の定義によれば、それで生計を立てられるほど好きなことで稼げれば、自由生活は達成、になるのですが、それがすぐにできたら誰も苦労はしません。

その場合、「好きなこと」と「心地よい」ことをミックスさせて稼ぐ、など工夫をする必要があります。このような「好き」で生きるための障害を取り除きながら、徐々に好きを仕事にしていく必要があります。

まとめると、自由生活は

  1. あなたは何がしたいのか(またはしたくないのか)を知る
  2. 好き(または心地よいこと)を仕事にし、プライベートとワークの境界を消す
  3. 「好き」で生きるための障害を取り除く

というプロセスで実現できます。

自由の羽を手に入れる

不自由な生活をしたい人はいません。暇つぶしとはいえ、今後何十年間を不自由な思いで生きていくのは避けたいものです。

一方で、自由は、一部の限られた人にしかアクセスできない特権のようにも思えます。

僕の自由の定義を振り返ります。

(1)完全自由人:お金も時間も有り余っている人(量の問題)
(2)自由予備軍:遠く無い将来、十分なお金も時間も手に入れそうな人(量の問題)
(3)自由生活:好きなことで時間やお金を稼ぎ・消費する人(質の問題)
(3’)自由生活:嫌いなことややりたくないことを避け、心地よいことで時間やお金を稼ぐ人(質の問題)

確かに(1)や(2)は一部の人に偏るでしょう。物事の量は限られているからです。だったら「自由」の定義を変えるしかありません。

(3)や(3’)なら、誰かに偏ることはない、誰にでもアクセスできる権利になるのです。僕はこのブログを通して、それを実現していく様を示していきます。

みんなも自由の羽を手に入れましょう。

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